置き去りにしたキュウリの話
それは2021年8月のこと。
猛暑に続き、降り続く雨。
なかなか畑に行けない中、ちょっとした晴れ間に母弟子Tは畑に急ぎます。
「これ以上野菜達のお世話をしなかったら、やばいのではないか・・・」
目的は、第1畑と第3畑のキュウリの収穫です。
急ぎます。また一雨来そうです。
第3畑が見えてきました。そして何やらも見えてきました。
・・・あれはなんでしょうか。
遠くから見ても、驚くほどの成長を遂げたキュウリの皆様が。
スズナリで。
母弟子Tはしばらくそこに立ち尽くし、思います。
「この状況、ピンチ・・」
母弟子を取り巻く人々は、初夏から始まったキュウリフィーバーで、既に身体はキュウリ飽和状態。
皮も硬くなったキュウリを喜ぶでしょうか、いや、喜ばない。
毎日必ず1本のキュウリを食べる孫弟子Sがいますが、あまりにサイズが規格外。
じゃ、カットしてあげれば良いではないの?
いえ、彼は「キュウリを1本」食べたいのです。大きさがどうであれ、1本であれ。
それを発達障害の世界では「こだわり」と呼ぶのでしょう。
このオバケキュウリを食べたら、お腹を壊しかねない大きさです。夕飯も食べなくなってしまうかも知れません。
提供は控えたほうが良さそうです。
さて、どうしたものか。
母弟子は考えた末、食べ切れる数本を袋に入れ、後はキュウリの根元に置いたのです。
捨てたのではありません。優しく置きました。
食べきれずに、冷蔵庫の野菜室に閉じ込めたままにするくらいならば、
また土に戻り、次世代のキュウリの為、肥料となって役立って欲しいと願ったのです。
やれることはやりました。最善の策を取ったと言えるでしょう。
そして翌日。
師匠の奥様からメールが入ります。
「ゴーヤを甘辛く煮たから、お好きなら食べてみない?」
もちろんいただきます。
師匠のお宅の玄関先で、奥様からゴーヤを受け取ります。
そしてキュウリの漬物も。
「母弟子さん達、キュウリ捨てたんだって?うふふ」
何の話やら、全く見当がつきません。
なぜなら母弟子は、キュウリを捨ててはいません。肥料にしたのです・・。肥料に・・。
聞けば、母弟子がキュウリを置き去りにした翌日、師匠はそのキュウリを見つけ、
連れ帰ったとのことでした。
そして奥様が漬物にして、母弟子に下さった。
「キュウリなんて栄養ないから、肥料にしても知れてるわよ!
肥料にするくらいなら、持っておいで。漬物作ってあげるから!」
後日、母弟子は畑で師匠に話します。
考えた末、キュウリを置き去りにしましたと。
「たわけたことを。育ちすぎたキュウリは漬物にすればええんだ」
漬物は食べない主義の師匠は、そう仰いました。
畑で野菜を作ると、食べたいと思う量以上が、集中して収穫出来てしまうことがあるものです。
時期が少しずつずれてくれたら良いのに。
それは母弟子達の勝手な注文というものです。
野菜は旬がやって来たから全集中で実をつけているのです。
人間の方は、いかに料理のレパートリーを増やすか、どうすれば美味しく保存できるのか。
そこに全集中するのが、賢いやり方でしょう。
ではまた👋